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更新日:2015年6月23日

日光の社寺:輪王寺

8世紀末に、日光を開山した勝道上人の創建による四本竜寺を起源とし、日光山の中心寺院として発展してきましたが、承応2年(1653年)に、三代将軍・徳川家光公の霊廟である大猷院が境内に造営されて以来、徳川幕府の尊崇を受けました。大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿が国宝に、その他の37棟が重要文化財に指定されています。

本堂(三仏堂)(C1)

本堂(三仏堂)は、嘉祥元年(848年)に創建されたと伝えられるが、現在の本堂は、正保4年(1647年)に造営され、明治4年(187年1)の神仏分離令の実施に伴い、明治12年(1879年)に現位置に移転されたものである。造営以後の長い年月により、形式の一部に変更が見られたが、近年、調査によって得られた資料に基づき、屋根を除き造営当初の形式に復旧され、江戸時代前期の形式をよく現している。

本堂(三仏堂)
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開山堂(かいざんどう)(C4)

開山堂は、日光を開山した勝道を祀る霊廟で、享保5年(1720年)頃に造営されたもので、唐様の重層宝形造り、総弁柄朱漆塗りの建物で、江戸時代中期の建築様式を現している。地蔵菩薩像が安置され、毎年4月1日に開山会法要が行われる。

開山堂
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常行堂(C5)、法華堂(C6)

常行堂と法華堂は、平安時代に創建されたが、現在の建物は、慶安2年(1649年)に再建されたものである。和様の常行堂と唐様の法華堂が渡廊下で繋がり、慈眼堂への入口にもなっている。

常行堂
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常行堂には、開口部などの一部に変更があったが、近年、調査によって得られた資料に基づき、造営当初の形式に復原された。

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三重塔(C16)

三重塔は、四本竜寺の創建の地に、貞享2年(1685年)に再建されたもので、初重から二重、三重に至る逓減が良く、安定感のある塔であり、江戸時代中期の形式を良く現している。

三重塔
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大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿(C17)

大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿は、承応2年(1653年)に造営されたもので、江戸時代の修理において塗装の仕上げに一部変更があったが、他には全く後世の形式変更はない。大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿は、東照宮と同様に「権現造」様式であるが、東照宮の石の間に相当する相の間の床が、拝殿と同じ高さとなり、中殿の形式とするとともに、本殿の屋根を二層にするなど形式の相違が見られる。また、これらは、当時の第一級の技術者により造営され、当初から、彫刻、漆塗、彩色、飾金具などの建築装飾に優れた技法が用いられた。

大猷院霊廟本殿
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大猷院霊廟唐門(C18)

大猷院霊廟唐門、夜叉門、皇嘉門は、大猷院霊廟の造営に伴い、承応2年(1653年)に造営された門であり、後世における形式変更はない。大猷院霊廟唐門は、向唐門で、屋根の前後の軒を唐破風形とし、細かい地紋彫の彫刻や透彫の飾金具など、構造、意匠、技巧に優れた技術が見られる。

大猷院霊廟唐門
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大猷院霊廟夜叉門(C23)

大猷院霊廟夜叉門は、八御門で、屋根の前後の軒を唐破風形とし、彫刻を牡丹で統一し、柱に胡麻殻の面をとるなど、構造、意匠、技巧に優れた技術が見られる。なお、正面左右の間に赤と青、背面には白と群青色に彩色された夜叉像を安置している。

大猷院霊廟夜叉門
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大猷院霊廟皇嘉門(C32)

大猷院霊廟皇嘉門は、奥院への入口に立つ「竜宮造」様式の門で、腰壁を密陀塗という特殊な技法で白色に塗装するなど、構造、意匠、技巧に優れた技術が見られる。

大猷院霊廟皇嘉門
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お問い合わせ

所属:教育委員会事務局文化財課文化財保護係

電話番号:0288-25-3200

ファックス番号:0288-25-7334

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