「日光の社寺」保存修理の歴史

「日光の社寺」の建造物は、江戸時代には幕府によって定期的な修理が、日光の町に常駐した職人集団によって行われました。そして、時代時代の最高の技術をもって修理が行われ、江戸時代を通して最高の技術で保たれました。

明治時代に入ると、1871年に政府によって神仏分離が発せられました。この頃には急激な近代化の波の中で、国内の文化財を軽視する風潮が生じましたが、1879年、「日光の社寺」を保護するための「保晃会」(ほこうかい)が当時の町民や幕臣等によって組織され、社寺の修理等を開始しました。

1897年に政府が「古社寺保存法」を制定し、文化財の保護に乗り出すと、日光には「日光社寺修繕事務所」が、政府及び二荒山神社、東照宮、輪王寺によって組織され、社寺の修理を担当するようになりました。そこには、専任の技師が置かれ、その指導・監督のもとに、破損の著しい建物から順次、根本的な修理が行われたわけです。

「古社寺保存法」の制定後、1929年に「国宝保存法」が、1950年に「文化財保護法」が制定され、「日光の社寺」の建造物は、それぞれ「国宝」ならびに「重要文化財」に指定されました。1998年には世界遺産に推薦された区域が「史跡」に指定され、現在、「日光の社寺」は、点的にも面的にも保護が図られています。建造物の修理工事は、専門技術者のいる(公財)日光社寺文化財保存会(旧日光社寺修繕事務所)が各所有者から工事を受託して行なっています。修理の方法は、破損の程度によって、根本的な修理(解体修理・半解体修理)と維持的な修理(屋根葺替・部分修理・塗装修理)とに分けられます。修理の際には、専門技術者が詳細な調査・設計・管理にあたり、修理完了後には修理の記録を取りまとめた修理工事報告書を作成しています。また、「日光の社寺」における修理の特徴は、建物の外部を美しく塗っている漆や彩色を定期的に伝統的な材料技術で維持修理していく作業を続けているところです。

この建造物彩色の技術は、「文化財保護法」で定められている「選定保存技術」として(公財)日光社寺文化財保存会が技術保持団体として認定されているほか、修理技術者の実務研修も実施されています。

建物に朱色が使われ描かれている日光社寺の絵

明治18年「日光山全圖」より

このように、江戸時代を通し、さらには明治維新後も早くから文化財として保護され、現代に至るまで美しい姿が保たれてきたことは、「日光の社寺」の建造物の大きな特徴となっています。

一方、山岳信仰の聖地としての面影を今に残している建造物群周辺の森林も幕府の手によって管理されました。この森林は、「日光の社寺」の宗教活動の中で植林されたもので、記録に残るものは、15世紀からです。東照宮や大猷院霊廟の造営の際にも植林が行われ、この建造物群と一体となった自然的環境は、現在も各所有者によって維持されています。

長い年月にわたる多くの人々の絶え間ない努力によってその価値が維持され続け、平成10年12月に行われたICOMOS(国際記念物遺跡会議)の現地調査においても、保存・保全の技術が高い評価を得た「日光の社寺」。このすばらしい資産を次の世代に伝えるためにも、これからも継続的な保存・保全への取り組みが必要不可欠となってきます。

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教育委員会事務局 文化財課 世界遺産推進係
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