旧日光市歴史年表(古代~鎌倉)

旧日光市歴史年表(古代~鎌倉)の詳細
西暦/年号 旧日光市の歴史
766(天平神護2)年 勝道上人、大谷川を渡り四本竜寺を創建。(日光山の起源。)
767(神護景雲元)年 勝道上人、大谷川の北岸に二荒山大神を祀る。(本宮神社の創建。)
4月、勝道上人が第1回目の男体山(二荒山)登攀を試みて失敗。
781(天応元)年 4月、勝道上人が第2回目の男体山登攀を試みて失敗。
782(延暦元)年 3月、勝道上人が第3回目の男体山登攀を試みて、初登攀に成功。(奥宮の創建。)
784(延暦3)年 3月、勝道上人が第4回目の男体山登攀を試みて成功、山腹に神宮寺を建立して止住する。(千手観音を安置する。)
788(延暦7)年 4月、勝道上人が中禅寺湖の北岸に移り住む。
807(大同2)年 勝道上人が下野国司の求めに応じ、補陀洛(男体)山頂で祈雨の行法をする。
808(大同3)年 下野国司橘利遠が朝命により本宮神社の社殿を建立し、また山菅の橋を架けて往来の便に供す。
810(大同5・弘仁元)年 四本竜寺を本坊とし、一山の総号を満願寺と称する。
814(弘仁5)年 8月、弘法大師(空海)が勝道上人の功績を称える碑文(二荒山碑)を著す。
816(弘仁7)年 勝道上人、日光三社大権現(本社・滝尾・本宮神社)を勧請する。
820(弘仁11)年 弘法大師、滝尾・若子両神社を祀る。
829(天長6)~833(天長10)年 慈覚大師、このころ来晃し、三仏堂を建立する。
836(承和3)年 12月、下野国従五位下二荒神が正五位下を受ける。
841(承和8)年 4月、下野国二荒神が正五位上を受ける。
848(嘉祥元)年 8月、下野国二荒神が従四位下を受ける。
857(天安元)年 11月、「下野国従三位二荒神」との記録が見える。
859(貞観元)年 1月、下野国二荒神が正三位を受ける。
860(貞観2)年 9月、下野国二荒神に初めて神主の職が置かれる。
865(貞観7)年 12月、下野国二荒神が従二位を受ける。
869(貞観11)年 3月、下野国二荒神が正二位を受ける。
927(延長5)年 完成した延喜式に、「河内郡二荒山神社」との記載が見える。
1017(寛仁元)年 勅使が下向して諸社に幣帛と神宝とを奉ったが、東山道のなかに下野国二荒の名が見える。
1000(長保2)年 この頃書かれた『枕草子』に「橋は…山すげの橋」と神橋が記述される。
1017(寛仁元)年 勅使が下向して諸社に幣帛と神宝とを奉ったが、東山道のなかに下野国二荒の名が見える。
1096(永長元)年 「聖人快舜大徳」と記した、この年の棟札があったとされるが、疑わしい。
1129(大治4)年 二荒山一切経が書写される。
1135(保延元)年 「大勧進弁暹」と記した、この年の棟札があったとされる。
1138(保延4)年 日光山僧の一人が大般若経を書写する。
1141(保延7)年 7月、藤原敦光が中禅寺私記を作る。
1145(久安元)年 この年より、常行三昧堂で行法が始まる。
1155(久寿2)年 この年の棟札があったとされる。
1156(保元元)年 12月、源義朝が日光山造営の功により、下野守に重任。
1158(保元3)年 6月、比叡山の寛朝が、日光山常行三昧堂検校・聖宣に宛て袈裟を送る。
10月、聖宣が寛朝に礼状を送る。
1161(永暦元)年 この年の棟札があったとされる。
1177(安元3)年 日光山別当職を巡り、禅雲と隆宣が争う。那須・宇都宮(禅雲方)と大方・小山(隆宣方)の諸氏が加勢する。
1186(文治2)年 9月、源頼朝が下野寒河郡内の田地15町を日光山三昧田として常行堂に寄進する。
1191(建久2)年 2月、隆宣が鶴岡八幡宮供僧に補せられる。
1201(建仁元)年 8月、隆宣が将軍家如法大般若経で開白導師を勤める。
以後、建保元年まで、しばしば幕府のために祈祷を行なう。
1203(建仁3)年 源実朝が二荒山神社に神馬を奉納する。
1210(承元4 8月、中禅寺造営の棟札あり。
この頃、弁覚が日光山座主となって復旧に着手する。
1213(建保元)年 5月3日、弁覚が幕府のために和田氏と戦い、戦功を立てる。
5月10日、弁覚に鎮西土黒庄が恩賞として与えられる。
9月、長沼宗政が日光山麓にこもった畠山重忠の末子・重慶を斬る。
1215(建保3)年 弁覚が二荒山神社新宮を造営する。
1216(建保4)年 3月、藤原政綱が日光権現に梵鐘を奉納する。
7月、中禅寺宝殿の造立。
1218(建保6)年 稲荷社の建立。
1228(安貞2)年 1月、平助永が滝尾の女体権現に手筥を奉納する。
1240(仁治元)年 弁覚が光明院を創立、一山の本坊となる。
1241(仁治2)年 源実朝の菩提供養のため、新宮に三重塔を建てる。
1252(建長4)年 坊宇以下、常行堂や鐘楼などが焼失する。
1253(建長5)年 8月、中禅寺宝殿と末社が修復される。
この年から、尊家が鎌倉大御堂別当と日光山別当を兼ね、以後、日光山別当は常時、鎌倉に住んで、日光山では光明院の監守が留守職として山務を執るようになる。
1255(建長7)年 尊家が常行堂を再興する。
1267(文永4)年 3月、尊家が常行堂定文22ヵ条を作る。
1275(建治元)年 4月、新宮遷宮を行う。
1276(建治2)年 閏3月、常行堂の規範を定める。
4月、佐野氏綱が抜丸の太刀を中禅寺に寄進する。
1286(弘安9 中禅寺上人・朝禅が宝殿を修営する。
1292(正応5)年 3月、鹿沼教阿が新宮に唐銅燈炉を寄進する。
9月、源恵が天台座主となる(永仁元年まで)。
1302(正安4)年 1月、道潤が天台座主となる。
1306(嘉元4)年 8月、新宮遷宮を行う。
1315(正和4)年 8月、仁澄が中禅寺の大造営を行う。
1316(正和5)年 6月、仁澄が天台座主となる(文保元年まで)。
1323(元亨3)年 日光山の修験が栄える。
1327(嘉暦2)年 道潤が平等院検校となり、帰京か?
1328(嘉暦3)年 4月、中禅寺三重塔の造立供養を行う。

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