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更新日:2010年9月1日

旧日光市歴史年表(室町~安土桃山)

西暦/年号 旧日光市の歴史
1351年
正平6年/観応2年
4月、薬師寺公義・公光の父子が中禅寺に宝殿を造立する。
1363年
正平18年/貞治2年
閏1月、常行堂の堂衆が講衆を別当・守恵に訴える。
1366年
正平21年/貞治5年
8月、守恵の裁定で、堂衆と講衆との争いが、一応、収まる。
1385年
元中2年/至徳2年
10月、地蔵坊宥寛が中禅寺宝殿を修復する。
1390年
元中7年/明徳元年
本宮と四本龍寺が焼失する。
1394(応永元)年 昌瑜が日光山御留守権別当となる。
1396(応永3)年 関東一円の各所で、日光山へ奉納のための大般若経全600巻の一日頓写が行われる。
1406(応永13)年 11月、関東公方・足利満兼が自筆の紺紙金泥般若心経を日光山に寄進する。
1414(応永21)年 12月、大風のために常行堂が破損する。
1419(応永26)年 5月、別当・持玄が常行堂定文を作る。
1430(永亨2)年 常行堂の大火舎が紛失する。
1432(永亨4)年 常行堂に所蔵されていた、源頼朝・実朝らが寄進の水晶念珠が紛失し、関東公方・足利持氏が探索を命じる。
1439(永亨11)年 11月、足利持氏の子である安王と春王が日光山へ逃れて来る。
1454(亨徳3)年 12月、足利成氏の弟・勝長寿院殿が鎌倉より日光山に移る。
1458(長禄2)年 常行堂に摩多羅神殿が造立される。
1459(長禄3)年 9月、昌継らが中禅寺の社殿を上葺する。
1468(応仁2)年 連歌師・宗祇が日光山を訪れ、のちに「白河紀行」を記す。
1472(文明4)年 中禅寺の宝殿修復が行われる。
1476(文明8)年 権別当・昌源が日光山中に杉・松など数万本の植林を行う。
1477(文明9)年 8月、下野都賀郡府中国分寺の一結講衆が日光山寒沢宿に法華経一部を奉納する。
1479(文明11)年 6月、権律師・光尊が新宮に仁王経上巻を書写奉納する。
1486(文明18)年 聖護院門跡・道興准后が下野に入り、日光山に来る。
1495(明応4)年 8月、中禅寺別所が新造される。
1496(明応5)年 6月、昌源が「伝伝教大師筆法華経」を開版する。
1503(文亀3)年 昌顕が先師・昌源の木像を造り、その功を記念する。
1504(永正元)年 昌顕が先師・昌源の木像を金堂に施入する。
1507(永正4)年 4月、昌顕が大鰐口を造り、金堂に施入する。
1509(永正6)年 秋、連歌師・宗長が日光山に来る。
1513(永正10)年 5月、温泉神社に薬師像の銅祠が造られる。
1518(永正15)年 6月、滝尾社の宝殿が上葺される。
1522(大永2)年 2月、大千度通夜部屋より出火し、本宮と四本龍寺が焼失する。
1541(天文10)年 古河公方・足利晴氏が中禅寺温泉を来訪?
1548(天文17)年 4月、禁中の殿舎が大破し、日光山に修理費用の進納が命ぜられる。
1562(永禄5)年 11月、前座主・昌膳と、その兄・壬生綱雄との争いにより本宮が焼失する。
1564(永禄7)年 桜本坊宗安が本宮を再建する。
1575(天正3)年 4月、中禅寺御殿新造の棟札に「当御留守座禅院唐乙丸」と見える。
1576(天正4)年 10月、小田原の宇野藤右衛門尉が日光において下郎丸薬の独占販売を許される。
1577(天正5)年 3月、江戸の台家衆より、絹衣事件について関係文書の案文を添えた通知が、日光山へ届く。
1582(天正10)年 2月、桜本坊宗安が常行堂を再興、ついで滝尾の行者堂を新造する。
4月、滝尾観音堂が新造される。
1583(天正11)年 滝尾別所が焼失する。
1584(天正12)年 滝尾別所を再建される。常陸・佐竹義重の室・伊達氏が常行堂に金襴の袈裟を奉納する。
1590(天正18)年 9月20日、小田原の北条氏に加担したため、豊臣秀吉が日光山の所領の大部分を没収する(以後日光山は衰退する)。寺屋敷、門前、足尾村は安堵。

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