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更新日:2010年9月1日

旧日光市歴史年表(明治・大正)

西暦/年号
旧日光市の歴史
1868(明治元)年 1月、日光警備番所を3ヶ所増加させる。
3月、明治政府が名目金を禁止。
4月、幕府兵が宇都宮から日光山へ敗走。
4月26日、政府軍が日光に迫り、東照宮の御神体が会津に遷座《10月26日に帰還》、板垣退助の意見で日光は兵火を免れる。
4月29日、幕府兵と官軍が野口十文字で対峙するが、幕府兵は日光を去り、官軍は今市へ撤収。
閏4月、官軍の板垣退助が東照宮に詣でる。
8月27日、明治政府が日光神領を接収する通達を出す。日光奉行所が廃止され、真岡県の管轄となる。
10月、公現法親王が勅詔を以て生家・伏見宮への復帰を命じられる。
1869(明治2)年 2月23日、日光県が設置される。
10月4日、伏見宮能久親王(もとの公現法親王)が輪王寺門跡を辞任。
11月、輪王寺の称号および日光山と東叡山の本山号が廃止される。
1870(明治3)年 12月、日光県が神仏分離を弁官に上申。
1871(明治4)年 1月9日、栃木県令が二社一寺の分離を指令、東照宮・輪王寺・二荒山神社に分かれる。
5月13日、輪王寺の本坊が焼失。
6月14日、日光県が廃止され、日光は栃木県の管下に入る。
1872(明治5)年 4月9日、戸長制度が実施(栃木県第39区)される。
7月1日、観音寺下の問屋場に日光郵便取扱所が設置される。
寛永寺・日光貸付金の一切が棄捐される。
男体山の女人禁制が解かれる。
1873(明治6)年 3月5日、大小区制の実施(栃木県第二大区第九小区)。
3月7日、二荒山神社が国幣中社に列格。
5月、星野定五郎が中禅寺湖にイワナを放流。
6月9日、金谷善一郎が外国人向け旅館を創業。
1874(明治7)年 1月1日、郵便取扱所が郵便役所と改称。
1月、鉢石学舎(のちの日光第一尋常高等小学校)が観音寺に開校し、6ヵ所に分教場が置かれる。
9月27日、小来川小学校が開校。
1875(明治8)年 4月28日、日光邏卒屯所が中鉢石の高野松三郎宅を仮用して設置される。
1876(明治9)年 1月8日、西町の大火で110戸が焼失。
6月6日、明治天皇が行幸、中禅寺湖を「幸の湖(さちのうみ)」と和歌に詠まれる。
二荒山神社境内の三仏堂の移転工事が開始。
1877(明治10)年 2月2日、鉢石学舎第3分校(所野)の校舎が強風で崩壊。
7月1日、米国の人類学者モースが日光を訪れる。
1878(明治11)年 5月25日、二荒山神社宮司の柿沼広身が中禅寺湖放流碑を建立。
11月18日、郡区町村編成法により、日光が上都賀郡に所属。
1879(明治12)年 6月10日、鉢石学舎などが合併し、晃嶺学舎と改称。本宮下に校舎を新築。
7月1日、戸長役場が開所。
7月、三仏堂の移転が完了。
12月16日、保晃会の設立。
1880(明治13)年 7月1日、鹿沼警察署の日光分署が設置され、上鉢石町に庁舎を新築。
9月、内務省社寺局長の視察があり、二社一寺の堂塔管理協定が成立。
1881(明治14)年 11月、三仏堂の入仏式が行なわれる。
12月、小杉放菴が生まれる。
農商務省水産局がいろは坂下深沢に孵化場を設置。
1882(明治15)年 3月5日、宮内卿が日光御猟場の設置を太政大臣に上申。
1883(明治16)年 4月、日光郵便所が三等郵便所となる。
道路が改修される。
1884(明治17)年 1月、保晃会が町共有地の大樹を買い入れ、造営用材を準備。
日光御猟場の設置。
1885(明治18)年 12月14日、栃木県が御猟場区の縮小を申請(翌年に実施)。
1886(明治19)年 6月24日、有志が日光鉄道の建設を出願。
夏、中鉢石に電信取扱所が設置される。
細尾・神子内間の索道が完成。
1887(明治20)年 1月15日、久次良村字倉下が御料地に編入。
3月、小倉山御料地事務所の設置。
4月、晃嶺学舎を日光尋常小学校と改称。
8月19日、男体山頂で日蝕の観測。
消防組が組織される。
1888(明治21)年 9月、奥日光御料地の設定。
細尾・日光間の馬車鉄道が開業(のちに牛車を運転)。
1889(明治22)年 6月1日、町制が実施され、入江喜平が初代町長に就任。
日光ホテルが開業。
1890(明治23)年 日本鉄道の宇都宮・日光間が全通。
日光町の町域が画定。日光町立高等小学校の設置。
5月、山内御用邸を設置。
1891(明治24)年 3月21日、日光郵便局が日光郵便電信局と改称。
1892(明治25)年 12月、日光町立高等小学校が日光尋常高等小学校と改称。町役場が神橋畔に新築される。
1893(明治26)年 6月1日、小杉富三郎が町長に就任。
日光水力電気が向河原発電所を完成させる。
1894(明治27)年 2月10日、消防組規則の公布。
1896(明治29)年 4月1日、日光分署が日光警察署に昇格。
7月、皇太子が日光を訪れる。
9月8日、下野銀行日光支店が開業。
下野製麻が開業。
1897(明治30)年 3月19日、野村惟一が町長に就任。
12月20日、日光商業銀行が開業。
1898(明治31)年 7月29日、日光町衛生組合の結成。
1899(明治32)年 6月、田母沢御用邸が竣工。
8月、社寺修繕事務所が第一期修繕工事を開始。
9月7日、下野銀行が日光支店を開設。
日光真光教会が布教を開始。
1900(明治33)年 3月、揚石守治が町長に就任。
9月、細尾・山窪・所野の各分校が独立の尋常小学校となる。
星野五郎平が華厳滝壷道を開く。
1902(明治35)年 4月8日、大沢真澄が町長に就任。
8月18日、町立裁縫専修学校の創立。
9月18日、日光郵便電信局で電話交換を開始。
9月28日~29日、暴風雨により男体山の山津波。大谷川が氾濫。
11月5日、植物園日光分園の開設。
12月23日、藤沼伝郎は町長に就任。
1903(明治36)年 4月1日、日光郵便電信局が日光郵便局と改称。輪王寺と東照宮の宝物4点が国宝に指定される。
5月22日、藤村操の自殺事件。
1904(明治37)年 日露戦争に多くの出征者。
1905(明治38)年 4月1日、中宮祠郵便局の設置。
9月、聖公会日光真光教会の設立。
古河合名会社が別倉に発電所を建設。
1906(明治39)年 6月16日、古河合名会社が日光電気精銅所を創立。
7月29日、西沢金山探鉱株式会社の創立。
御料局が孵化・養魚事業を農商務省から引き継ぐ。
日光町農会の創立。
神橋の架け替え。
1907(明治40)年 6月27日、郵便局庁舎が中鉢石町に新築される。
6月23日、日光銀行の創立(旧日光銀行が解散)。
8月20日、藤堂良忠が町長に就任。
1908(明治41)年 細尾尋常小学校の校舎を改築し、日光尋常小学西校と改称。
8月1日、二社一寺の建物や宝物等が国宝に指定される。
9月18日、日光電気軌道株式会社の創立。
下野電力株式会社の創立。
1909(明治42)年 2月、帝国製麻日光工場の火災。
4月1日、山窪尋常小学校を改築し、日光尋常小学南校と改称。日光電気精銅所が精銅館を開設。
12月12日、七里尋常小学校が移転し、日光尋常小学東校と改称。
1910(明治43)年 1月8日、日英博覧会に出品の陽明門の模型が公開される。
8月10日、日光電軌の日光駅・岩ノ鼻間が開業。
9月30日、西山真平が町長に就任。
11月3日、在郷軍人会日光分会の発足。
1911(明治44)年 2月、町長が帝国公園設置請願を貴衆両院議長に提出。
11月、植物園が花石町に移転。
1912年
(明治45年)
(大正元年)
2月5日、罹災救助金蓄積条例の制定。
3月、修繕事務所が第二期工事を開始。
10月14日、愛隣幼稚園の開設。
10月、日光駅の改築。
1913(大正2)年 9月6日、大正天皇が精銅所へ行幸、和楽踊が始まる。
10月、日光電軌の岩ノ鼻・馬返間が開業。
11月28日、精銅所幼稚園の創立。
1914(大正3)年 8月、山内発電所の建設。
9月30日、村上信夫が町長に就任。
11月27日、日光社寺共同事務所の設置。
1915(大正4)年 8月3日、石井信敬が町長に就任。
10月、八千代会の結成。
11月10日、町是の制定。
東照宮三百年祭。連合青年団と処女会(のちの女子青年団)の結成。
1916(大正5)年 6月、保晃会が解散。
8月1日、この年から登拝祭が8月1日~7日となる。
10月、金谷ホテルがテニスコートをスケートリンクに改造。
12月7日、日光自動車会社の創立。
1917(大正6)年 9月、中宮祠分校の校舎を新築し、中宮祠尋常小学校と改称。
各町の衛生組合を統一し、日光衛生連合会を組織。
1918(大正7)年 6月19日、帝室林野局東京支局が中禅寺湖遊漁者心得を制定。
1919(大正8)年 8月31日、皇太子が来晃。
スケートが盛んになる。
1920(大正9)年 3月14日、日光町中部青年団の結成。
5月14日、日光町基本財産蓄積条例の制定。
下野電力が帝国電灯に合併。
1921(大正10)年 3月3日、庚申草の自生地が天然記念物に指定される。
8月31日、各青年団が郡連合青年団に加入。
12月、日光小学校に町立実業補修学校が併設される。
1922(大正11)年 3月8日、杉並木と寄進碑が史蹟に指定される。
8月8日、有志が御猟地拡張取り止めを宮内大臣に請願。
古河電工、和楽池をスケートリンクとして従業員、家族に開放。
1923(大正12)年 4月1日、日光尋常高等小学校を日光第一尋常高等小学校と改称。西校に高等科を併設し、第二尋常高等学校とする。
5月、東校と南校と中宮祠校に各実業補修学校を併設。
12月、御猟場を廃止。
下野銀行の閉鎖。
1924(大正13)年 4月1日、高橋常次郎が町長に就任。
7月23日、各青年団の再編成。
東京アングリング・アンド・カントリークラブ発足。
1925(大正14)年 1月18日、富山県人会組織(のちの日光救護会)の結成。
3月15日、精銅所少年団の結成。
4月1日、第二小学校に第二裁縫補修学校が併設される。
6月29日、精銅所体育会の結成。
12月、清滝に水沢リンク(後に精銅所リンクに改称)誕生。
いろは坂が拡幅され、乗合自動車の運行が許可される。

 

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