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更新日:2021年2月24日

よくある質問

よくある質問や素朴な疑問をまとめてみました。分かりやすく解説するため、簡単にまとめてあります。参考までに、ご覧ください。

足尾銅山はいつ発見されたのか

一般的には慶長15年(1610)農民の治部と内蔵によって発見されたと言われていますが、天文年間(1550年頃)とも言われており、詳しいことは分かっていません。いずれにしても、16世紀中には銅の採掘をうかがわせる記録もあるので、そのころには発見されていたと思われます。

銅は何に使われているのか

身近なところでは、硬貨です。1円玉以外の硬貨にはすべて銅が使用されています。また、電化製品や自動車、電線・ケーブルなどの電力、通信機器でも用いられています。

銅の価格はどのくらいか

1kgあたりだいたい800円くらいです。(令和3年1月現在)

江戸時代に鋳造した寛永通宝「足字銭」は何枚作られたのか

足尾で鋳造されたといわれている寛永通宝は、その裏面に「足」の字が印されていることから、通称「足字銭」と呼ばれています。俗に2000万枚鋳造されたと言われてきましたが、実際は2億枚以上とも言われています。

古河市兵衛は足尾銅山をいくらで買収したのか

江戸時代には幕府直轄銅山として栄えたものの、その末期や明治初期には閉山状態となってしまった足尾銅山。明治期に入ると新政府の所有になりましたが、明治5年(1872)に民間に払い下げられ、古河市兵衛が廃鉱同然の足尾銅山を買収したのは明治10年のことでした。さて、その買収にかかった費用ですが、約5万円と言われています。現在の感覚からすると、数億円単位の金額だったと思われます。

どのくらいの銅が掘られたのか

江戸時代は約14.9万トン、明治以降は約67.5万トンで、計約82.4万トンが産出されたと言われています。国内2位の産銅量を誇る愛媛県新居浜市にある別子銅山のそれは約72万tと言われています。

坑道はどのくらいの長さが掘られたのか

足尾銅山は、渡良瀬川、出川、庚申川に囲まれた備前楯山を中心とした範囲で採掘がおこなわれ、一般的に坑道の総延長は1,234kmと言われています。足尾銅山観光がある通洞坑(標高602m)を基準にすると、上に20階(高低差約600m)下に15階(高低差約450m)の水平坑道があり、それらがいくつもの立坑によって結ばれています。立坑は大きなもので、高低差約300mから400mあります。足尾銅山観光のトロッコの終点に、この先1200キロ以上の坑道が続きます、という表示がありますが、まっすぐ続いているのは約6.5kmです。備前楯山の標高が1272mですから、その山頂直下まで坑道が掘られたことになります。

他の鉱山でも通洞坑はあるが、足尾のそれと関係があるのか

通洞とは一般的な鉱山用語で、簡単に言うと坑道を掘るための坑道のことです。主に運搬、排水及び通気用として使用され、その鉱山の中でも最大のものです。また、鉱山を開発する際には、通洞により開鉱することが法律で定められ、その大きさも示されています。よって、どこの鉱山でもその役割を担った坑道が存在するものですが、足尾の場合は開鉱当初から閉山まで場所を変えることなく、通洞坑がその役割を果たし続けたのが特徴です。そのためか、通洞坑がある住所名、その付近の駅名にまで、その名が固有名詞として使われています。

河鹿(かじか)鉱床とは何か

足尾特有の巨大で含銅品位にすぐれた塊状鉱床です。河鹿という名称は、渓流中の石の下に隠れている鰍(カジカ)のようであることから名づけられたと言われています。また、鉱脈鉱床というのは脈というように鉱石部分が筋もしくは管のような状態ですが、河鹿はそれが大きな塊となっている感じです。なお、よく直利(なおり)という言葉も出てきますが、簡単に言うと鉱床が肥大して富鉱部を形成する状態全般を言います。

銅山で働いていた人は何人くらいいたのか

産銅量が最盛期を迎えていた大正期の頃で、約10,000人が働いていました。その後、合理化や機械化とともに減少し4,000人前後で推移しました。第二次世界大戦後は2,000人程度まで減少し、昭和48年(1973)の閉山直前には1,000人程度でありました。なお、この人数は直接従事する人数ですから、関連する業種も含めればもっとたくさんの人たちが従事していたと思われます。

なぜ閉山したのか

鉱源の枯渇、地下深い部分での採鉱の保安上の問題、貿易の自由化や為替変動相場制への移行などの経済情勢の変化が挙げられます。鉱源の枯渇は採算コストに見合う品位の高い鉱石が採掘できなくなったこと、また、新たな鉱源を求めて地下深く開発していくのに伴い、盤圧の増加による岩盤の軟弱化、温度の上昇など労働条件が悪化し、坑内保安確保が困難になったことが要因です。また経済情勢の変化も、安価な輸入鉱石とのコスト差が拡大する要因となるなど、収支に見合う採鉱が不可能となったことが最大の原因だと思われます。良くもう銅は採れないのですかと聞かれますが、採れるけど採算が合わないので採らない、ということです。

現在も国内で採掘している銅山はあるのか

平成6年(1994)の秋田県の花岡鉱山等の閉山により、国内の稼行銅鉱山はなくなりました。それ以降、鉛亜鉛鉱山の副産物としてわずかに生産されていましたが、それも現在では閉山し、現在、日本の銅生産のほとんどは輸入鉱石により臨海部等の大型製錬所で行われています。なお、日本の一年間の銅需要量は約百数十万トンで、これは足尾銅山と別子銅山の江戸時代から閉山までの総産銅量の合計に相当する数字です。

お問い合わせ

所属:教育委員会事務局文化財課世界遺産登録推進室

電話番号:0288-25-3200

ファクス番号:0288-25-7334

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