日光の社寺:東照宮
徳川家康公の霊廟として元和3年(1617年)に創建された。現在の主要な社殿は、寛永13年(1636年)、三代将軍徳川家光公により造営が行われたものです。この東照宮の建築により、日本の代表的な神社建築様式である「権現造」が完成したといってもいいでしょう。また、彫刻や彩色などの建築装飾についても、当時の最高水準の技術が用いられました。本殿・石の間・拝殿、陽明門など8棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されています。
本殿・石の間及び拝殿(B1)
本殿・石の間及び拝殿は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、承応3年(1654年)に屋根の葺き替え、元禄3年(1690年)に本殿亀腹石の変更があったが、他には全く後世の形式変更はない。東照宮本殿・石の間及び拝殿は、本殿に拝殿を石の間で連結した工字形の神社建築様式「権現造」の完成形で、その後の霊廟建築や神社建築の規範となった。また、これらは、当時の第級の技術者により造営され、当初から、彫刻、漆塗、彩色、飾金具などの建築装飾に優れた技法が用いられた。
東西透塀(B3)
東西透塀は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、土台及び屋根材の変更があったが、他には全く後世の形式変更はない。唐門の左右から延びて、本殿・石の間及び拝殿を囲んでおり、その延長は160メートル、柱間は87間である。透塀の中央に特異な枠どりの中に花狭間格子を配し、欄間には各種の花や鳥などを取り合わせた彫刻が施されている。
東西廻廊(B5)
東西廻廊は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、正保4年(1647年)に、地震の被害により、廻廊の北側部分が取り除かれたが、他には全く後世の形式変更はない。陽明門の左右二間ずつの袖塀から東西に延び、本殿などを南、東、西側から囲み、その延長は220メートルである。南側は、計25枚の大彫刻で飾られ、内側は円柱を建てた吹き抜けとなっている。
神厩(B17)
神厩は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、間仕切り、欄間の変更があったが、他には全く後世の形式変更はない。神厩は、東照宮建築のなかで唯一の素木づくりで、当時の武家の殿舎に用いられた書院造の馬屋の形式にのっとっている。現存する大型の神厩建築の唯一の遺構となっている。
石鳥居(B20)
石鳥居は、元和4年(1618年)に造営されたもので、後世の形式変更はない。高さ9.2メートル、幅13.2メートルで、15個の石材で造られている。石鳥居においても、重量配分を考慮し、柱を2本継ぎとするとともに、笠木と島木の中を空洞とするなど、地震対策が施されている。
奥社宝塔(おくしゃほうとう)(B22)
奥社宝塔は、元和8年(1622年)に木造で創建されたが、寛永18年(1641年)に石造に改められ、さらに地震により倒壊した後、天和3年(1683年)に現在の鋳銅製に改められたものである。この塔の下に徳川家康の遺骸が葬られているため、雨水の流入を防ぐために石敷に勾配を付し、さらに宝塔の基壇石、周囲の石棚の継手には鉄の太柄や楔を入れて、鉛を鋳込んで密着させるなど、当時の最高の技術によって造営されている。
御旅所本殿(おたびしょほんでん)(B34)
御旅所本殿は、元和6年(1620年)に、その存在が確認できるが、その後、貞享元年(1684年)に焼失し、貞享2年(1685)に再建されたものである。この建物は、渡御祭の際に神輿が渡御する建物である。渡御祭は、百者揃千人行列とも呼ばれ、徳川家康の日光遷座の様子を今日に伝える祭礼である。
坂下門(B21)
坂下門は、奥社への入口の門として、寛永13年(1636年)に造営されたもので、屋根の葺き替え、塗装及び飾金具の変更があったが、他には全く後世の形式変更はない。飾金具に七宝焼を用いるなど、優れた技巧が見られる。
五重塔(B19)
五重塔は、慶安3年(1650年)に造営されたが、文化12年(1815年)に焼失し、文政元年(1818年)に再建されたものである。この塔は、心柱を第四層目から吊り下げ、その下部は礎石上にのらず約10センチメートル程遊離させ、塔の重心を常に中心から外れないようにする力学的な構造が採用されるなど、風害や地震の対策が施されている。
水屋(B16)
水屋は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、江戸時代中期頃に、構造材の一部に変更があったが、他には全く後世の形式変更はない。柱に石材を使用するとともに、水盤の水を滝尾神社付近から水道管を付設し、逆サイフォン方式で引くなど、当時の新しい建築技術が取り入れられている。なお、現在は、鉄管利用の上水道に改められている。
陽明門(B4)
日光で最も有名な建築である陽明門は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、屋根の葺き替え、塗装の塗替があったが、彫刻や主要化粧部材は創建のままである。東照宮建築群の中でも最も彫刻などの建築装飾に優れた建物である。彫刻においては、建築構造部材であるべきものの一部を彫刻化したり、構造部材の表面に大規模な彫刻を取り付けたり、羽目板の表面に多数の彫刻を取り付けたりしている。また、漆塗、彩色、飾金具による建築装飾技法が、その表現の特性、耐久性に応じて使い分けられている。
正面及び背面唐門(B2)
正面及び背面唐門は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、屋根の葺き替えがあったが、他には全く後世の形式変更はない。正面唐門は、屋根の四方の軒を唐破風形とし、地紋彫、象嵌や屋根の銅製彫刻など、構造、技巧に優れた技術が見られる。
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更新日:2024年02月01日