日光の社寺:二荒山神社

日光における山岳信仰の中心として古くから崇拝されてきた神社で、特に、中世には多数の社殿が造営されました。また、江戸時代になると、徳川幕府によって新たに本殿や社殿が造営され、このうち、本殿や神橋など23棟が重要文化財に指定されています。

本殿(A1)

本殿は、元和5年(1619年)に造営されたもので、正保2年(1645年)の諸社堂造営に伴いわずかに移転し、また、屋根の葺き替え、塗装の塗替、飾金具の変更があったが、軸部、戸口、建具等には全く後世の形式変更はない。各部分の華やかで複雑な彩色、塗装、彫刻などの装飾は元和創建当時の建築様式を現している。

屋根付きの塀の奥に見えている二荒山神社本殿の写真
全体的に朱色で、柱上部の斗栱部分や壁と天井が接触している部分に色鮮やかな装飾が施されている二荒山神社本殿の写真

拝殿(A4)

入母屋造で全体が朱色の二荒山神社拝殿左側部分をアップで写した写真

拝殿は、元和5年(1619年)に造営されたもので、正保2年(1645年)に本殿の移転に伴い再建された。その後、屋根の葺き替えがあったが、他には全く後世の形式変更はない。本殿とは違って、彩色文様も彫刻もなく、単純ではあるが、創建当時の建築様式を現している。

神橋(A6)

周りが沢山の緑で囲まれた中に設置されている、緩いアーチがかかった全体が朱色の二荒山神社神橋の写真

神橋は、既に室町時代にはその存在が確認できる。現在の橋形は、寛永13年(1636年)のもので、左右の川岸に沿って石の橋脚が立てられ、朱漆塗りである。その後、修理、架け替えが行われてきた。明治35年(1902年)に洪水で流失し、明治37年(1904年)に本来の形式に忠実に再建された。

別宮滝尾神社本殿(A7)

屋根が少しカーブを描いた切妻屋根で本殿全体が朱色、周りを石の柵で囲まれている二荒山神社別宮滝尾神社本殿の写真

別宮滝尾神社本殿は、社伝では天長2年(825年)に造営されたと伝えられ、正保3年(1646年)に現在地に移転されたものである。正徳3年(1713年)に建て替えられ、昭和16年(1941年)に倒樹により全潰したが、旧主要材を再用して完全に復旧した。なお、本殿背面に扉が付けられ、神体山である女峰山を拝することができ、山岳信仰を示す形式となっている。

別宮本宮神社本殿(A12)

朱色の柵で囲まれた奥に建っている、全体が朱色で切妻屋根の二荒山神社別宮本宮神社本殿の写真

別宮本宮神社本殿は、大同3年(808年)に創建され、天長4年(827年)と嘉祥3年(850年)に移転されたものと伝えられている。その後、中世から近世にかけて度々の火災や合戦で焼失したが、その度に再建されてきた。現在の社殿は、貞享2年(1685年)に再建されたものである。

神輿舎(A16)

素木入母屋造の二荒山神社神輿舎を正面から写した写真

神輿舎は、当初は、元和3年(1617年)に東照宮の仮殿拝殿として造営されたもので、寛永15年(1638年)と寛永18年(1641年)に移転した。素木造の正面3問・側面2間の小建築であるが、元和創建当時の東照宮建築を唯一残すものである。

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