旧足尾町歴史年表

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原始時代

原始時代の年表
年号
旧足尾町の歴史
紀元前5500年頃 唐風呂や野路又に縄文文化の人たちが住んだ。

古代~鎌倉時代

古代~鎌倉時代の年表
年号
旧足尾町の歴史
大化元(645)年 下野国安蘇郡足尾郷となる。
天平宝字2(758)年 勝道上人が古峰原の大剣峰付近で修行したと伝えられる。
延暦9(790)年 足尾郷が日光中禅寺の神領となる。勝道上人の弟子慧雲が松木に方等寺を建てたと伝えられる。
大同3(808)年 足尾郷の鎮守として妙見社(磐裂神社)を遠下に建てたと伝えられる。
承和3(836)年 中禅寺領が日光神領と改称された。
正和4(1315)年 足尾の5姓(神山、星野、倉沢、斉藤、亀山または細内)が足尾に移住したと伝えられる。
元弘3(1333)年 神山時盛が粕尾郷から唐風呂に来住した。

室町時代~安土・桃山時代

室町時代~安土・桃山時代の年表
年号
旧足尾町の歴史
文亀2(1502)年 時盛の子孫神山吉種、盛直の子孫斎藤盛時・実時・忠勝らは、この頃佐野氏に仕えた。
天正5(1574)年 この頃より足尾銅山は佐野氏の管理下にあった。
文禄元(1592)年 この頃、足尾郷は戸数約500戸、石高800石であった。

江戸時代

江戸時代の年表
年号
旧足尾町の歴史
慶長15(1610)年 備前国の治部と内蔵によって備前楯から銅鉱が発見され、幕府の直山となる。
慶長19(1614)年 足尾銅山の鉱採人夫は100人ほどであった。
寛永3(1626)年 銅山が日光東照宮支配となる。(以後21年間)
正保4(1647)年 銅山が再び幕府の直山となる。
慶安2(1649)年 銅山街道(あかがね街道)の5か宿(沢入、花輪、桐原、大原本町、亀岡)
が設けられた。
慶安4(1651)年 当時の江戸城や日光東照宮、芝、上野等の社殿の造営に足尾の銅瓦が使われた。
明暦2(1656)年 銅山の街道5が宿の銅問屋に御用銅蔵が建てられた。
寛文2(1662)年 この年から6年間、毎年300トンの銅を浅草の官倉に納めた。
延宝4(1676)年 この年から12年間、毎年1300トン~1500トンを出し、溶解炉32座、銅山師44人で足尾は極めて繁栄し、足尾千軒といわれた。また以後17年間足尾産銅を長崎に送り、そこからオランダに輸出した。輸出銅の20%を占めたので5か1銅と呼ばれた。
貞享元(1684)年 足尾の産銅額が年産1500トンになる。
元禄13(1700)年 産銅が急減し年産150トンになる。
享保3(1718)年 足尾に大火災が発生し、千余戸が焼失する。
享保11(1726)年 原の竜泉寺縁起が書かれた。
寛保元(1741)年 山師から山元の困窮を救うための鋳銭の許可願いが出される。
寛保2(1742)年 5年間にわたり鋳銭座を設けて寛永通宝(足字銭)を2000万枚鋳造した。
明和4(1767)年 足尾の産銅額年にわずか100トンとなる。
天明4(1784)年 佐藤信季とその子信淵が来山し、鉱脈の探査にあたった。
寛政3(1791)年 足尾の産銅減少し銅よりもタンパンを主とするようになる。
文化14(1817)年 次第に出銅が少なくなり、銅山は休止状態となる。このころ滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」の中に庚申山を書いた。
文政3(1820)年 上総の人三橋臣彦が「庚申山記」を著した。
弘化5(1848)年 河野守弘が「下野国誌」に「庚申山」について書いた。
慶応元(1865)年 江戸講中の人たちが庚申山の碑と丁程碑を建てた。

明治時代

明治時代の年表
年号 旧足尾町の歴史
明治元年 9月に足尾が10月には銅山が、共に日光県の管轄となった。
明治5年 足尾が栃木県の管轄になる。赤沢に郵便局が置かれた。
明治10年 銅山が古河市兵衛の経営に移った。市兵衛は1832(天保3)年に京都岡崎在、大和屋長右衛門の次男として生まれた。
明治11年 足尾村となって上都賀郡に属した。そして栃木警察署の管轄となった。
明治13年 渋沢栄一が足尾銅山の経営に参加。市兵衛は甥の木村長兵衛を四代抗長とする。坑内に軌道が設けられた。
明治14年 坑内に排水用手押ポンプが採用された。坑内の燈火が一新した。鷹の巣坑の直利に当る。
明治16年 鹿沼警察署管轄となって足尾分署が設けられたが1年で廃止された。郵便局が松原に移った。本口抗で富鉱を発見。
明治17年 横間歩大直利にあたる。直利橋が(現在の古河橋の地点)つけられた。直利橋製錬所(足尾製錬所の起源)が新設された。足尾銅山が急速に発展しはじめる。道路の大改修(上州口、日光口)を行う。
明治18年 坑内にさく岩機が採用された。
明治19年 坑内排水動力ポンプが使われはじめた。銅山施設電話が設けられた。
明治20年 松木の大火によって赤倉、間藤方面と直利橋や製錬所が焼けた。本山に火力発電所が造られた。鹿沼警察署足尾分署が再設された。赤倉郵便取扱所が設けられた。
明治22年 町村制の施行により、足尾町となる。初代町長に長真五郎氏が就任。
明治23年 細尾峠に日本初の架空索道(鉄索)が運転を開始。
間藤に水力発電所を開設し、日本で最初に電力を動力に応用。
古河橋道路用鉄橋が架設。
有木坑竪坑に日本発の電気捲揚機を設置。
三好学博士が庚申山でコウシンソウを発見。
明治24年 田中正造が帝国議会で鉱毒問題を質問。
本山~古河橋に日本初の電気機関車を運転。
町内幹線道路に軽便馬車鉄道の敷設を開始。
明治25年 私立足尾銅山尋常高等小学校(本山小)を福長屋(南橋)に創立。
直利橋製煉所に粉鉱採集機が設置。
明治26年 私立足尾銅山尋常高等小学校小滝分校が開校。
コークスを燃料とするベッセマー式転炉製煉法を導入。
国産第1号となる足尾型電気機関車を工作課で製作。
明治29年 通洞坑と有木坑が貫通し、通洞・有木・小滝坑が連絡。
第1回鉱毒予防工事命令が下る(同36年まで5回)。
伝染病隔離病舎を向原に開設。
足尾銅山付属病院本山医局の通洞分局を開設。
明治30年 足尾銅山は第3回鉱毒予防工事命令に全力を傾注。
小滝製煉所を廃止。
坑内に日本初の電気機関車を運転。
明治31年 京子内に民間で日本初の測候所を開設。
煙害防止のため脱硫塔を設置。
群馬県に足尾銅山の根利林業所を開設。
明治32年 足尾銅山迎賓館の掛水倶楽部を創設。
明治33年 旧松木村全戸により帝国議会、国、県に「人命救助請願」を提出。
足尾銅山索道課長玉村勇助が架空索道の玉村式握索機を考案。
田中正造が鉱毒問題で明治天皇に直訴。
明治35年 大暴風雨「足尾台風」による被害大。
同台風により神子内尋常小学校が流出。
足尾キネマ(映画館)が建つ。
隧道を通した小滝~銀山平索道を架設。
足尾銅山との示談により旧松木村廃村。
明治36年 古河市兵衛が死去。
日本最長の銀山平~砥沢索道を架設。
金田座(足尾劇場)が建つ。
労働運動家永岡鶴蔵が入山。
明治38年 東洋一の規模を誇る銀山平製材所を開設。
町内に電話が開通。
社宅に電灯がつく。
後に総理大臣となる原敬が古河鉱業会社設立に際し副社長に就任。
明治39年 本山選鉱場~高原木に玉村式(第1号)索道を架設。
南助松、永岡鶴蔵ら、大日本労働至誠会足尾支部を結成。
明治40年 坑夫による大暴動事件が起こり、軍隊が派遣され予戒令を布き、県警察も大挙投入し鎮圧。
日光警察署足尾分署が足尾警察署に昇格し、組織を強化。
私立古河足尾銅山尋常高等小学校が向間藤に新築移転。
明治41年 本山に生活協同組合「三養会」を開設。
一国一鉱山の地に足尾キリスト教会が創立。
暴動事件で焼失した本山の鉱業事務所を掛水に開設。
通洞病院を建替え本院とし、本山・小滝を分院とする。
掛水に登記所を設置。
明治42年 足尾鉄道株式会社が設立。
足尾電灯株式会社が設立。
明治44年 坑内でカーバイトを使用したカンテラを採用。

大正時代

大正時代の年表
年号 旧足尾町の歴史
大正元年 通洞動力所に大型コンプレッサーを設置(320馬力を2台)。
足尾町立実科高等女学校創立。
足尾鉄道桐生駅~足尾駅開通。
大正2年 私立古河足尾銅山実業学校創立。
足尾銅山機関紙「鉱夫の友」(月刊)創刊。
大正3年 国産第1号となる小型さく岩機「足尾式三番型」を工作課で考案。
足尾鉄道足尾駅~足尾本山駅開通。
製煉所の脱硫塔廃止。
磐裂神社が現在地に遷座。
大正4年 新梨子油力発電所開設。
製煉所の排煙対策で電気集塵機を設置。4本の大煙突建つ。
浮遊選鉱法の操業開始。
洋風白亜の足尾警察署が赤沢に建つ。
私立古河足尾銅山尋常高等小学校久蔵分教場創立(1、2年生)。
大正5年 人口が38,428人となり、市制を期待(県下第2位)。
足尾銅山音楽協会設立。
大正6年 さく岩機専門の工場を新設。
京子内の測候所を渡良瀬に移築。
城崎座が上間藤に建つ。
大正7年 古河鉱業株式会社を設立。
足尾鉄道が国有鉄道となる。
大正8年 坑夫による労働争議が三次にわたり起こる。
大正9年 小滝坑夫のストライキ、製煉職鉱夫のストライキ起こる。
県道中宮祠足尾線(半月道)開設。
小滝選鉱場を通洞選鉱場に統合。
大正10年 県内初のメーデーを足尾で開催。
坑夫による大争議起こる。
本山選鉱場を通洞選鉱場に統合。
足尾鉱業事務所を足利市(旧市役所)に売却。
大正11年 「コウシンソウ」が天然記念物に指定。
大正13年 直利音頭の前身となる盆踊りを赤倉広場で開催。
大正14年 足尾銅山全山大園遊会を開催。

昭和時代

昭和時代の年表
年号
旧足尾町の歴史
昭和元年 軽便馬車鉄道を廃止しガソリンカーに転換。
昭和4年 五日荘(厚生施設)が渡良瀬に建つ。
陸奥宗光の別邸を大磯から柏木平に移築(豊潤洞)。
足尾乗合自動車商会(バス会社)設立。
誠之館が中才に建つ。
昭和5年 タクシー営業開始。
昭和6年 直利座が本山に建つ。
昭和8年 全山運動会が柏木平で開催。
私立古河足尾銅山実業学校が野路又に移転。
新梨子油力発電所で発電機を2機増設。
昭和10年 通洞選鉱場新工場完成。
昭和11年 細尾峠が自動車道として開通。
昭和13年 足利銀行足尾出張所が開設。
昭和14年 足尾銅山根利林業所が閉山し、銀山平製材所と索道を廃止。
消防組と防護団が統合し警防団発足。
昭和15年 この頃から、朝鮮人労働者が足尾銅山の労働に従事。
昭和16年 国民学校令実施。
足尾銅山工作課が野路又分工場を新設。
昭和17年 足尾銅山工作課の機械部門が足尾製作所として独立。
鉱夫の友334号をもって終刊。
上砂畑に捕虜収容所を設ける。
昭和18年 学制改革により足尾町立実科高等女学校が栃木県高等女学校となる。
原堆積場が完成。
木村長兵衛功業の銅碑を製煉所で戦時供出品として熔解。
昭和19年 学制改革により古河足尾銅山実業学校が財団法人足尾工業学校となる。
足利銀行足尾出張所が足尾支店に昇格。
足尾製作所が小山工場を新設し、野路又分工場を統合。
野路又分工場跡に捕虜収容所を設ける。
足尾銅山山神祭に尾上菊五郎来演。
中国人が強制連行され坑内労働に従事。
昭和20年 足尾銅山労働組合同盟会結成。
昭和21年 食糧危機突破町民大会を誠之館で開催。
メーデーが復活。
昭和22年 新教育法により国民学校が解かれる。私立校はそれぞれ町立となり本山小学校・小滝小学校となる。
新制中学校3校が創立。
足尾体育協会が設立。
足尾町観光協会が設立。
足尾簡易裁判所が開設。
足尾町警防団が足尾町消防団となる。
足尾~日光間に東武バスが運行。
キャサリン台風襲来、明治以来最大の洪水被害で鉄道・道路不通となる(足尾の雨量385ミリメートル)。
昭和23年 警察機構の改革により自治体警察となり足尾町警察署となった。
高等女学校と工業学校が合併し、足尾町立高等学校となる。
横根山に開拓農家59戸が入植。
選鉱場で日本初の重液選鉱法に成功。
アイオン台風で被害甚大(足尾の雨量300ミリメートル)。
小滝会館建つ。
庚申山荘を新設。
昭和24年 キティ台風で通洞坑口の護岸決壊など各所で被害甚大(足尾の雨量446ミリメートル)。
昭和25年 足尾高等学校が町立から県立となる。
足尾銅山購買組合三養会が生協法により足尾銅山生活協同組合三養会に改組。
足尾食品市場が松原に設立。
選鉱場の手選女工を廃止。
皇海山・庚申山地域が日光国立公園に編入。
アイオン台風で流失した赤沢橋の代替に足尾橋架設。
松木川・仁田元川・久蔵川の合流地点で足尾砂防ダム建設に着工。
昭和26年 足尾小学校横根山分校を開校。
昭和27年 東京都杉並区西荻に足尾町の学生寮を開設。
「コウシンソウ」が特別天然記念物に指定。
足尾信用協同組合(後の大日光信用組合)が開業。
昭和28年 田元に町営の隔離病舎を開設。
足尾銅山の上砂畑隔離舎は廃止し、跡地に結核病棟「渡良瀬荘」を開設。
中学校3校を統合し足尾中学校を開校。
足尾~粕尾間が自動車道に改設。
足尾銅山で選鉱紙幣を発行。
昭和29年 町立幼稚園2園(足尾・本山)が開園。
大正の頃40数戸の集落であった舟石が無人となる。
粕尾峠を通る、足尾~宇都宮間の関東バス運行。
足尾銅山小滝坑廃止、足尾銅山施設撤収。
足尾製作所からさく岩機、機械部門を分離し足尾機械株式会社が発足。
自治体警察の廃止により栃木県足尾警察署となる。
松木三川合流地点に足尾ダム(砂防)の主ダム、副ダムが竣功。
昭和30年 小滝小学校を廃止し、1年間は原小学校小滝分校とした。
足尾銅山渡良瀬測候所を国営に移管。
県内のカモシカが特別天然記念物に指定。
し尿処理場を平石平に開設。
昭和31年 県下スキー選手権大会・県下高校中学校スキー大会が草刈山スキー場で開催。
塵芥処理場を平石平に開設。
自熔製煉法による操業開始、排煙から濃硫酸を製産し亜硫酸ガスの排出は解決。
足尾鉱業所から足尾製煉所が独立。
NHK素人のど自慢が足尾中学校体育館で開催。
昭和32年 足尾中央部で協同視聴によるテレビ中継塔が完成。
昭和33年 中央部(松原・赤沢・掛水・向原)に足尾町簡易水道を給水開始。
足尾銅山上の平社宅を足尾町に移管。
銀山平公園を開設し、定期バスが運行。
神子内小学校を片衣に新築し移転。
昭和34年 「広報あしお」(月刊)創刊。
昭和35年 簀子橋堆積場が完成し堆積を開始、選鉱索道廃止。
足尾小学校が全焼(同年鉄筋コンクリート造り3階建校舎竣工)。
足尾町商工会が設立。
県下高校登山大会が庚申山で開催。
昭和36年 横根山に電話開通。
銀山平公園行きシーズンバス運行(日3便)。
足尾小学校落成式挙行(屋内体操場完成)。
神土ダム(草木ダム)対策委員会を設立。
役場改築のため足尾劇場に移転。
昭和37年 東毛観光協会主催の第10回渡良瀬渓谷駅伝大会(足尾~大間々)開催。
母子健康センターが田元に開設。
県道が2級国道122号に格上げ。
し尿汲取り事業が清掃協同組合から町営に変わる。
赤痢撲滅のため全町民に検便実施。
役場新庁舎竣功。
横根山電灯点灯(8林班12戸、12林班5戸)。
足尾銅山危機突破町民大会開催(銅の貿易自由化問題)。
昭和38年 金属鉱山危機突破全国大会(会長:鈴木一足尾町長)東京で開催。
砂畑橋架替工事竣功。
赤倉で火災、郵便局など4棟焼失。
「足尾町総合振興対策協議会」発足。
横根山開拓連絡道路竣功(延長3,972メートル)。
足尾町保健委員会設立。
足尾町更生保護婦人会設立。
赤倉で火災、公会堂など9棟11世帯焼失。
昭和39年 足尾町漁業協同組合設立。
足尾町鉱業政策推進協議会設立。
本山・砂畑社宅で火災が相次ぐ。
草刈山で町民スキー大会開催。
鉱泥を利用した「あしお焼」の研究所を原向駅前に設置し、民芸品として売り始める。
足尾観光開発株式会社設立。
「ここに小滝の里ありき」記念碑建立。
銀山平に電灯点灯。
昭和40年 し尿処理場竣功。
野路又で縄文式土器発見。
北部簡易水道完成し給水開始。
神土ダム対策委員会拡大会議開催。
横根山ロッヂ開設。
昭和41年 NHKテレビ中継放送局開設。
本山小学校竣功。
横根山分校が8林班に移転。
庚申山~白根山縦走路完成記念登山体育大会開催。
台風26号で全町に被害。
銅精鉱に自電炉を開発。
昭和42年 学校給食センター開設。
国民宿舎「かじか荘」完成、営業開始。
足尾町章決定。
昭和43年 松原に保育所開設。
横根山、粟野町との境界変更(8世帯が足尾に編入)。
第1回町民体育祭開催。
テレビ中継放送局開局。
昭和44年 赤沢で連続火災、末広劇場など19世帯73人罹災。
公民館竣功。
町制施行80周年記念行事にNHK「放送演芸会」開催。
足尾中・足尾高の集団非行が大きく報道される。
松原大火災、キネマなど30世帯全半焼104人罹災。
昭和45年 鉱泥を利用したセラミックブロックで足尾高校長住宅が赤沢に完成。
赤倉で火災、4世帯罹災。
過疎地域緊急措置法で足尾町が指定される。
町民プール開設。
足尾町と粟野町の共同計画の前日光高原放牧場着工。
栃木県消防ポンプ操法競技大会で足尾消防団優勝、全国大会に出場。
「足尾町過疎地域振興計画」成る。
「関東霊園」完成。
足尾線間藤駅が無人化、蒸気機関車廃止。
通洞社宅で火災、1棟5世帯21人が罹災。
昭和46年 赤沢で火災、全焼11世帯33人罹災1人死亡。
足尾窯業株式会社の工場竣功、鉱泥利用のタイル、ブロックを製造開始。
上都賀地区体育祭で足尾が3年連続総合優勝。
宇都宮~足尾間の関東バス運行廃止。
野路又工業団地に誘致企業第1号のエバラ調味工業株式会社設立。
昭和47年 細尾(日足)トンネル早期実現論が強くなる。
足尾町文化協会発足。
足尾鉱業所・足尾製煉所・陶管工場が統合し足尾事業所発足。
児童館が赤倉に開設。
足尾銅山鉱山部の閉鎖を発表。
足尾町閉山対策協議会・栃木県足尾町緊急対策協議会設立。
中禅寺湖スカイライン開通。
閉山対策町民大会開催。
昭和48年 企業誘致対策として野路又工業団地造成工事着工。
足尾町振興緊急措置計画策定。
企業誘致で株式会社後藤鉄工所、株式会社太堀、株式会社カネナカ、株式会社足尾化学工業の進出決定。
足尾銅山閉山(2月28日)、400有余年に幕。
北部保育所が赤倉に開設。
総合観光事業を目的に株式会社古河設立。
古河が足尾振興のため地域開発構想を発表。
横根山観光開発に町有地の一部譲渡決定。
足尾観光開発株式会社解散、横根山ロッヂ閉鎖。
中国人殉難烈士慰霊塔を銀山平に建立。
足尾気象通報所廃止。
昭和49年 横根山分校廃校。
足尾陶管工場操業開始。
足尾電報電話局開設、電話が自動化。
横根山大規模開発事業「トレールランド前日光」認可。
足尾銅山鉱毒問題で被害農民に15億54万円の補償、鉱毒100年戦争が解決。
足尾銅山閉山による社宅解体進む。
昭和50年 「寿楽荘」(老人憩の家)が田元に開設。
松原で火災、12棟10世帯全焼。
製煉所が不況のため炉を20日間停止。
庚申山一の鳥居に庚申七滝遊歩道設置。
町内有線放送完成。
中才工業団地へ「興研株式会社」が進出決定。
群馬県境に沢入トンネル開通(延長494メートル)。
昭和51年 足尾町商工会「商工会館」が赤沢に建つ。
通洞社宅で火災、2棟5世帯罹災。
足尾小学校校長住宅火災(2カ月間で4件の火災発生)。
東部簡易水道給水開始。
草木ダム貯水開始。
古河鉱業が栃木・群馬両県と「公害防止協定」締結。
昭和52年 足尾銅山閉山で廃止された「山神祭」に変わり「足尾まつり」復活。
中才で火災、3世帯13人罹災1人死亡。
町民センター竣功。
かじか荘へ「直利の湯」温泉給湯。
昭和53年 日足トンネル開通(延長2,765メートル)。
「コウシンソウ」自然保護シリーズ切手(50円)発売。
南橋橋竣功。
横根山大規模開発事業認可・承認になる。
宇都宮地方法務局足尾出張所(登記所)閉庁。
昭和54年 銀山平公園ロッヂ完成。
足尾高校定時制閉校。
夜間常備消防30年の歴史に幕。
中央グラウンド整備工事竣功。
「日光地区消防組合足尾分署」発足。
昭和55年 足尾線存続対策協議会発足、第1回理事会開催。
足尾線存続町民総決起大会開催。
南部簡易水道給水開始。
通洞大橋竣功。
足尾銅山観光オープン。
国鉄足尾線存続期成同盟会設立。
足尾双愛病院開設。
昭和56年 遠下公営住宅5階建30戸竣功。
足尾線、第二次(58~60年)廃止対象路線に決定。
足尾バイパス開通。
足尾線存続に特別乗車運動開始。
第1回あかがねマラソン大会開催。
昭和57年 ふるさと足尾の会発足、第1回サマーフェスティバル開催。
足尾線存続運動激化。
銀山平公園プール開設。
足尾警察署が現在地(通洞)に建つ。
足尾町の花「コウシンソウ」、町の木「シラカンバ」を制定。
昭和58年 足尾線廃止反対町民大会開催。
銅山観光内に鋳銭座開設。
上間藤公営住宅5階建30戸竣功。
中央運動公園踏切工事竣功。
足尾町営スケートセンター開設。
足尾郵便局が現在地(赤沢)に移転。
北部簡易水道水源取水不能事故発生。
舟石林道開通。
昭和59年 神子内小学校閉校。
社会福祉法人「すかい」設立発起人会開催。
赤法華梅林公園開設。
足尾線存続に関する町民集会開催。
ミステリー列車、通洞駅に終着。
足尾線沿線市町村が乗車運動をさらに強化。
新「神子内橋」開通。
昭和60年 簀子橋堆積場の安全性が話題となってくる。
精神薄弱者更正施設「皇海荘」開設。
通洞駅無人化。
日向野一郎町長町葬。
中央運動公園多目的広場開設。
松木地区「緑化シンポジウム」前橋営林局主催で開催。
町営バス運行開始(東武バス路線廃止)。
県営足尾発電所起動開始。
第1回波之利大黒まつり開催。
昭和61年 足尾線乗車運動継続。
丸太造り庚申山荘竣功。
北部簡易水道新水源竣功。
三塚運輸大臣、足尾線視察のため来町。
第1回足尾町民スポーツ祭開催。
足尾町議会解散、選挙。
「とちぎ景勝100選」に“松木渓谷”“庚申山”選定。
銀山平公園にログ風バンガロー3棟建つ。
町長不信任失職により町長選挙。
「小滝の里」記念碑再建。
昭和62年 足尾線特別乗車運動終結。
「第二皇海荘」開設。
上間藤町営住宅4階建32戸竣功。
足尾線が国鉄から東日本旅客鉄道株式会社に移行。
足尾製煉所が古河鉱業株式会社の子会社となる。
赤沢で火災、7棟6世帯罹災。
足尾線64年春開業を目途に第3セクター方式を決議。
すの子橋堆積場安全対策協議会設置。
赤倉で火災、住宅・工場5棟全焼5世帯罹災。
古河アルミ箔化成工場が遠下に創業。
足尾線第3セクター化正式決定。
第1回鹿肉フェア開催。
昭和63年 銅山観光「宇宙空間展示場」完成。
足尾簡易裁判所・足尾区検察庁閉庁。
足尾町カモシカ食害対策協議会発足。
渡良瀬に教職員住宅竣功。
つるや田部井製作所足尾工場操業開始。
わたらせ渓谷鐵道設立総会開催。
大畑沢緑の砂防ゾーンで本山小学校が記念植樹。
防災行政無線完成。
昭和64年 第3セクター「わたらせ渓谷鐵道」開業。

平成時代

平成時代の年表
年号 旧足尾町の歴史
平成元年 わたらせ渓谷鉄道連絡協議会発足。
渡良瀬町営住宅4階建16戸竣功。
「とちぎの名木100選」に“磐裂神社の御神木”が選定。
町制施行100周年記念式典挙行。
足尾町町民憲章制定。
製煉所が事実上の操業停止。
古河鉱業株式会社が「古河機械金属株式会社」に社名変更。
平成2年 第3セクター株式会社ボナンザ総合開発設立。
鍵金橋開通。
銀山平公園にログ風バンガロー5棟建つ。
国道122号中才・田元が台風による道路決壊のため通行止め。
勤労単身者住宅3階建18室が上間藤に竣功。
全国足並み会(足寄町・足助町・足利市・足和田村・足尾町)に初めて参加。
平成3年 足尾中学校の新校舎(鉄筋コンクリート造3階建)竣功。
平成4年 足尾トンネル(485m)開通。
足尾・本山両幼稚園が統合し足尾幼稚園となる。
足尾さく岩機株式会社が砂畑に移転。
活性化センター「銅ふれあい館」竣功。
足尾ダムに巨大なカモシカ陶板画完成。
平成5年 足尾石刀節で日本一に輝いた岡田貢峰氏が足尾で披露。
東京学生寮創設40周年記念式典を東京で開催。
足尾中学校の新体育館竣功。
クリーンセンター(ごみ処理施設)竣功。
渡良瀬川流域14市町村で組織する「ガイヤ足尾計画反対連絡協議会」設立総会開催。
足尾石刀節を日本一にする会発足。
足尾中(2年生)の北海道足寄町での体験学習が始まる。
平成6年 間藤駅が「ゆとりいきいきセンター」として完成。
赤沢公営住宅3階建9戸竣功。
保健・高齢者生活福祉センター「銅やまなみ館」竣功。
向原親水護岸竣功。
足尾銅山観光入坑者500万人達成。
渡良瀬川水源碑・源流の碑完成。
ニホンジカの有害特別駆除始まる。
平成7年 赤倉郵便局が上間藤に新築移転。
若宮橋(笹平)開通。
足尾幼稚園新築竣功。
建設省が通洞地区で「セイフティ・コミュニティモデル事業」開始。
「非核平和の町」宣言。
第1回足尾石刀節コンクール開催。
通洞地区の住環境整備事業着手。
町営スケートセンター廃止。
足尾保育所が赤沢に新築竣功。
平成8年 小滝の里に歌碑を建立。
寿楽荘閉鎖。
足尾高等学校家政科が廃止。
原小学校閉校。
銅親水公園竣功。
第1回ウォークラリー大会開催。
足尾に緑を育てる会の活動が始まる。
平成9年 かじか荘に露天風呂が完成。
第1回わたらせ源流まつり開催。
通洞地区コミュニティ住宅6階建36戸竣功。
平成10年 田元ガード下の県道改良工事竣功。
新「渡良瀬橋」開通。
向原地区小規模改良住宅2階建12戸竣功。
小滝自治会が切幹自治会に統合。
銀山平公園に「水辺の森親水公園」完成。
わたらせ渓谷鐵道でトロッコ列車運行が始まる。
平成11年 通洞町営2号館3階建18戸竣功、戸建住宅も建ち始める。
銅親水公園にビジターセンター竣功。
郵政局で銀山平公園に時計塔を設置。
平成12年 銅親水公園内に環境学習センター開設。
花の渡良瀬公園完成。
県民の日記念行事(上都賀ブロック)が足尾で開催。
通洞町営3号館3階建9戸竣功。
平成13年 古河掛水倶楽部で一般公開を開始。
足尾銅山観光がリニューアルしオープン。
国道122号中才が台風により決壊、通行止めとなる。
平成14年 「足尾の産業遺跡」シリーズを広報あしおに掲載開始。
国道122号切幹工区開通。
足尾に緑を育てる会がNPO法人設立。
給食センターが足尾中学校敷地内に新築開設。
平成15年 今市市・足尾町・藤原町・栗山村合併協議会設置。
全国足並み会解散。
足尾町体育祭が36回をもって廃止。
平成16年 本山小学校緑の少年団が内閣総理大臣賞を受賞(昭和60年発足)。
平成17年 本山小学校閉校。
足尾高等学校と日光高等学校の統廃合で新入生募集を廃止。
足尾歴史館がオープン。
足尾環境資料室がオープン。
足尾銅山観光入坑者700万人達成。
上都賀地区体育祭が幕を閉じる。
「足尾の産業遺跡」シリーズ、12月号をもって終稿。
平成18年 足尾町閉町記念式典を挙行。
今市市・日光市・藤原町・栗山村と合併して日光市となる(3月20日)。

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電話番号:0288-25-7333
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